popoponnponpopo’s blog

PDCAの原理的な欠点

個人的にPDCA(計画・行動・分析・改善)の欠点と現実的妥協点について想いが浮かびました。ほぼPDは無視の、CAの部分、「同じ間違いを犯さないようにしていたけどまた同じ間違いをしちゃった」ことに対する想いです。個人的に思うことなので他人にとってはどうでもいいかもしれませんが、PDCAって神格化されてるように感じるので、僕みたいに変に神格化してる他の人の認識もこれで正せるかもなと思う

 

<言いたいことまとめ>

  • まずどれもこれも全て僕が頭悪いせいでこんなに考えてます
  • PDCAで考える"改善策"には種類がある。例えば「環境作り」「人間力自体を上げる」とか
  • その中でも「人間力自体に改善策を求めざるを得ないもの」というのは同じミスを結構再発生させてしまう可能性を原理的に消せない(OSが人間だから)
  • 意識しても改善できないことが原理的に数~数十%発生しうることを自覚し、あまり信頼を置きすぎない現実的なPDCAの使い方を考えるのが良いと思う

以下詳細

 

PDCAを回していく上で、人間の能力に原因と対策を見出すしかないものは、そもそも完璧な改善策が無い

例えば「買ってくる電池の型番を間違えた(というか型番がそんな細かくあるなんて知らなかった…)」的な「そもそも知らなかったし」っていう失敗があって、それにまともな対策なんてものが考えられなかった。電池以外でも起こりうるから、「なんであれ物を買う前に型番をしっかり確認する!!」って対策を考えたけど、そもそもその対策を買い物する度に思い返すことも忘れる可能性がある。買い物する度に他人に「本当にこれでいいよね?」と確認することも現実的にありえないし。「じゃあ対策無いじゃん(終)細かい型番の存在をどうにか覚えておくしかないじゃん。でも忘れるじゃん」ってなったことがあった。

他にも例えば「どうしてもC言語でscanfやる時で&をつけるやつとつけないやつをミスって付け忘れて何度も指摘される」とかあったし、あれはチェックリストを作ってそれを確認しまくることを対策としていたけど、結局チェック項目が数十と増えすぎて、理想通りチェックすることはできず、100%同じミスを防ぐ対策とは至らなかった。

他にも例えば「聞き間違い」「認識間違い」とか。指示を受けて「はい」って言って成果物を提出したら「え?これじゃないよ?」ということがあった。これの対策ってオウム返しして3ウェイハンドシェイクみたいなことしかないかなって思ったんだけど、オウム返し自体するの忘れてしまってばっかだった。結局自分のワーキングメモリに「オウム返し毎回しろ!!」という情報があって毎度毎度そこを参照されないと、その対策が実行されない。こういうのは結局自分の脳力の問題だからもうこれ以上この聞き間違い・認識間違いを防ぐのは無理だと思った。指示してくる人全員に「あの、僕がオウム返ししなかったら、『オウム返ししなくていいの?』って聞いてくれませんか?」って言うことも現実的に不可能だし。直属の上司にはお願いできるかもしれないけど、いや無理だよね、自分の努力の問題を他人に任せるのは任せられ側もめんどいと感じるだろうから、結局自分で「忘れないように」するしかない。(でもそれは確実には無理だよね)

 

■だから現実的に「100%は無理」「数%~数十%は同じミスをしてしまうことがある」という風にまず認識を正した方が良いと感じた

大体のことにおいては認識を正しく持つこと自体良いことだと思うしPDCAも何となくそうだと思うので。その上で現実的な正しいレベルでの対策を考え、できなくても原理的に仕方がない、とした方が良いと思う。どうしてもミスっちゃいけないものは対策として非常に重いものを課せばいいだけで、使い分ければ良いと思う。

現実的な対策として軽度のものなら以下のものが良いと思う。

「ノート等に日付/ミス内容/理由/対策とかをメモる。そしてそれを定期的に見返すことでワーキングメモリになるべく入れながら社会活動する」

これが妥当な所だと感じる。いかにワーキングメモリに入れておくかだと思う。これで「対策」を環境作りで行えるものならあんま問題無いけど、「忘れないようにする」とか「覚えておく」とかしかないものは絶対に同じミスが発生しうる確率をもう原理的に内包しちゃってるんだと諦めて、あんま自分を責めずにいたほうが良いと思った。なぜならそれが事実であり、事実を認識した方が良いとなんとなく思うから。

これって至極当たり前なPDCAの普通のやり方かもしれないと思うけど、そのやり方のプロス・コンス含めた現実的なあれこれを自覚した上でそのやり方を認識してるのだから単に「ノートにまとめといたほうがいいよ」って言われてやるのとは違うと思う。自分が頭悪いせいで遠回りしまくってる。

 

このワーキングメモリ(またはバッファ)という概念は自分の中で「創作の分析結果を自分の創作に使う時」にも使えると思ってる。例えば作曲のネタとしていろんな技法を書きためておくけど、結局作曲する時は感覚でやってしまったりするけど、一度その前に参照すれば使えたりする。分析結果を使うという創作法を現実的に使うためにはわりと必要な存在だと思う。これをしないと膨大な分析結果がパッと出てこないから結局使えなかったりするけど、これをしたら出たりするから分析結果が意味あるものになる。でも膨大すぎたら全部参照するのはつらいから、そこは細かく書かないけど全部参照しないように作ろうとしてる方向性別に作品ごとに区分けすればいいと思う、でもここらへんは人それぞれなのでいい。